何気無くとは、何かある
今日もまた何気無く、仕事をしたようだ。
ようだとは、意識せずに行った事が、それは仕事の内容だった、という事だ。
24時間365日を、脳を休める事なく、何かを感じながら生きては、また、ふと今を生きる。
生きることは、死ぬことへの道。
死ぬ事ができるからこそ、今が美しいと思うのか。
花が散る速度、紅葉する葉、我が子の様子など、変化を皆が時間と捉える。
雨がしとしと、、、
これもまた、良いことだ。
月は満ち欠け、これもまた良い事だ。
楽しいこともなく、苦しいこともなく、ただ今を生きる。
あの人はどうしているだろうか?
仕事は暇潰しのようなものなのかもしれない。
仕事とは、嫌々するものでは無い。
淡々と今を生きる。
さて、たまには休みたいなどと思うのだろうか?
休みとは、離れることなのか?
離れたところで、心は離れられない。
一生食べていけるだけの蓄えが有ったとしても、人は何かするのだろう。
働けることをありがたいと思う。
吐きそうになりながらも、それもいつかは終わる。
中途半端に物事を終わらせなくとも、また次の事は始まり、また次、、、と。
仕舞う。
終うのだ。
ひとつひとつ、御仕舞いにして行く事。
形を付けて行く、片付けるのだ。
きちんとしたいからこそ、この秋は携帯電話とやらをしばらく、眠らせよう。
傘は、晴れたら閉じるもの。
雨の日にはまた開く。
